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朝の散歩Ⅱ

以前、鹿児島の城山に毎朝登っていますと書いたことがありました。
その習慣は今でも続いていて、毎朝、照国神社をお参りした後
城山に登って清々しい木々の緑を楽しみながら40~50分のお散歩をしています。

ある朝、いつものように照国神社に行って礼をひとつして手をポンポンと叩き
神様にご報告やお礼や感謝をしようとしていると、奥に人影が・・・
神主様が朝のお供えをしていました。
大きなポックリのような黒い靴?をはいて、一つ一つ丁寧に神様にお供えをし
榊で清め、中太鼓、大太鼓を叩き、お祈りをささげていました。
朝6時。
澄み切った境内の中で行われるその一連の行事はとても厳かで
ギャラリーが私一人だけなんてもったいない!なんて思ったほどでした。

ずーっと手を合わせたまま神主様を見ていたので
お勤めが終わられた後、神主様が声をかけてくださいました。
私は、月に一度鹿児島に来ていること、鹿児島が大好きなこと、
今、司馬遼太郎の歴史本を読んでいて、改めて薩摩のすごさを感じている事
などをお話ししました。
そして、照国神社を参るたびに不思議に思っていた、お宮の手前にある
とてもきれいな形の木について質問をしました。
私はその木が両手の平を合わせて手のひらの中に美しい玉を育てているように
見えたので、なにかそういう意味があるのですか?と聞いたのですが
その木は松の一種で島津斉彬の時代に植樹をされ、鹿児島に2本あるのだそうです。
二百年ほども前のものとは思えないほど、いつも美しく手入れをされています。
その形は鳥を表しているとの事でした。
私はその木を見るたびに両手を手首で合わせて指を広げ、その中に地球をポッと
入れているような感覚でいます。

「今日はとっても素敵なサプライズをありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。」
とお礼を言っていざ城山へ。
今日はまた一段とついているぞ!とニヤニヤしながら緑濃い山道を歩いて
私の大好きなお地蔵様にご挨拶をします。
いつものように「ありがとうございます」を繰り返したら、なぜだか涙涙涙涙涙・・・
後ろの大きな守りの木にも触れて、自然に対する感謝の気持ちをいっぱい告げます。

最近は、お地蔵様の前の道を竹箒で掃くという習慣ができました。
枯葉などが一枚もないようにきれいにきれいに掃いて・・・と。
その時、にわかに心の中がホワーっと暖かくなり、しあわせだなぁと
心のそこから思えました。
この幸せ感は一体なんだろう?
今まで私が幸せと思ってきたことって何だっけ?

素敵なバッグが手に入った。欲しかった時計が、お洋服が・・・etc
彼がこんな風にしてくれた、こんなものを買ってくれた・・・etc
とても物質的で手に入った途端色あせてしまっていたような気がします。

朝早くウォーキングスタイルで竹箒を動かしている時の
この心の中が溶けるような充実した幸せ感とは程遠い。
私って、今まで何を感じてきたのかしら?
心が大事といいながら、本当には分かっていなかったのですね。
幸せ感って一人一人違っていて当たり前だけど
何気ない朝の行動のひとつにも充実した幸せ感を感じるものだ
と気付けたこの日は、私にとって最高でした。
by riche-aidma-ruri | 2010-05-14 10:30
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